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【海外メディア絶賛】本田圭佑の名言・出身地についてまとめてみた件

会話の小ネタ

本田圭佑、ピンポイントの“FKアシスト”を海外絶賛 「絶妙キック」「高品質のボール」

ファイナルシリーズ準々決勝の前半42分、ニーダーマイアーの先制点を巧みにお膳立て
 メルボルン・ビクトリーの元日本代表MF本田圭佑は、3日のファイナルシリーズ準々決勝・ウェリントン・フェニックス戦で先制点をアシスト。重要な一戦での活躍に、海外メディアは「絶妙キック」「高品質のボール」と称賛が相次いでいる。


yahoo ニュース(5/3配信):https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190503-00186659-soccermzw-socc

サッカーの「本田圭佑」選手ってなんだかんだすごいニャ。

サッカーのプレーだけでなく、サッカー以外の面や数々の名発言でよく話題になる本田選手。
現在ファイナルシリーズを順調に勝ち上がっているということで、結果次第ではまた大きな話題を呼びそうです。

そこで本日は、本田選手について、周辺情報をまとめてみました。

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本田圭佑とは

  • 1986年6月13日生まれ
  • 身長182cm 体重74kg
  • 大阪府摂津市出身

公式twitter

経歴・出身地

本田選手は大阪の摂津市という小さな市の出身です。

中学生のころからすでにガンバ大阪のジュニアユースで活躍していましたが、高校はガンバ大阪ユースではなく、
石川県の星稜高校に進学しています。
星稜高校はニューヨークヤンキースで活躍された松井秀喜選手の母校であることでも有名です。

星稜高校時代のエピソード

高校時代から、本田選手は異彩を放っていたらしく、先輩のこともあだ名で呼んでいたそうです。
後輩にも自分のことをさん付けしなくていいと言っていたそうです。
(後輩たちは本田さん、圭佑さんと呼んでいたそうですが)
実際に本田選手が在籍していた3年間は上下関係がなくなったいたと、当時のチームメイトであり本田選手の1年先輩の豊田陽平選手(サガン鳥栖所属)からのコメントが残っています。

また、練習後には毎日ノートをつけて、振り返りや研究を熱心にしていたようです。
非凡な努力をしている点が周囲から認められてからこそ、上下関係をなくすほどのカリスマ性を発揮できたのでしょう。

プロデビュー後名古屋グランパスを経て海外へ

高校卒業後は、名古屋グランパスでプロデビューを果たしましたが、約3年を所属した後すぐに海外のチームへ移籍しています。
小学生からセリエAでプレーすることを目指していたという話は有名ですが、まさに有言実行という感じで、サッカー選手としてのキャリアを築いています。
2014年には本当にセリアAで、しかもACミランのエースナンバー”10″を背負ってプレーし、日本でもとても話題になりまた。
現在はオーストラリアのメルボルンに所属し、冒頭でも紹介したように海外メディアからも絶賛されるほど活躍しされています。

  • 2005-2007 名古屋グランパスエイト(JPN)
  • 2008-2009.12 VVVフェンロ(NED)
  • 2010-2013 CSKAモスクワ(RUS)
  • 2014.01-2017.05 ACミラン(ITA)
  • 2017.07-2018.08 パチューカ(MEX)
  • 2018.08- メルボルン・ビクトリー(AUS)

出身地の大阪府摂津市とは

本田圭佑選手の出身地である、大阪府摂津市は大阪府の北東に隣接した都市です。
非常に交通の便が良く大阪の繁華街・梅田へは阪急電車の京都線にのれば20分弱という位置にあります。

一方で隣接する茨木市や高槻市には自然が多く残っているおり、都会と自然のどちらも楽しむことができます。

特に「摂津峡公園」は有名で、夏には多くの人がBBQや川遊びを楽しみに訪れます。
(詳細はこちらで確認できます)

本田選手の名言

本田選手はたびたびその発言が話題になることでも知られています。

その発言に勇気づけられる人も少なくないのではないでしょうか。
本記事でもいくつか紹介したいと思います。

何で他人が俺の道を決めんねん。自分の道は、自分が決める

この名言が生まれたのは、本田選手のオランダVVVフェンローへの移籍が決まったときでした。
しかしその当時、周囲からは、
「北京五輪の代表もあるから移籍しない方がいい」
「ストイコビッチ氏が監督に就任するので、名古屋グランパスに残った方がいい」などの声があったそうです。

そのような周囲の声に対して、この名言が生まれました。
周囲に何を言われようと自分の意志を貫くという、日本人らしからぬ本田選手の一面が垣間見える名言です。

壁があったら殴って壊す。道がなければこの手で作る

本田選手は日本人として初めてACミランへ移籍しました。
当時ミランで10番を背負ってプレーするというのは日本だけでなく、アジアとしても歴史的な快挙でした。
「道がなければこの手で作る」という言葉通り、前人未到の地への一歩を大きく踏み出した瞬間でした

最後に成功すれば、挫折は成功の過程に変わる。だから成功するまで諦めないだけ。

本田選手は華やかに見えますが、すべてが順調に進んだわけではなく、挫折を幾度となく経験しています。
その中でも、中学時代の経験は有名なエピソードの一つです。

中学時代の本田選手はガンバ大阪のジュニアユースに所属していましたが、特に目立った選手ではなく、ガンバ大阪のユースには入ることができませんでした。

そのため、石川県の星稜高校に進学しましたが、そこでも決して諦めず努力を続けた結果、Jリーグのスカウトから声が掛かるほどに成長しました。

諦めず努力を続けたことで、 ガンバ大阪ユースに入れなかった経験も、小学生のころから思い描いたセリアAでプレーするという夢をかなえるまでの過程にすることができたのです。

まとめ

現在オーストラリアリーグのファイナルシーズンでも活躍中の本田選手の経歴・出身地、名言について紹介させていただきました。

幼いころからの夢を追い続け、実現させ、そしてさらに新しい夢に向かって走り続けている点が本当にかっこいいです。
たびたび日本人らしからぬ発言で話題になりますが、一方で世界で戦える日本人のメンタリティってこういうことなんだなと感じることもあり、少し視点を変えると多くのことを学べます。

これからも日本人代表として世界で戦う本田圭佑選手を応援したいと思います。

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